index< 日誌 < aj情緒 < 22-30「交感I:感覚の感覚」p7 |
外の世界を無視したところで自分で自分を感じているのである。だから対象といったものが存在しない。しかしまた、だからこそ、なぜそう感じられて来るのか、自分でもはっきり分からないのである。知りようもないし、知る必要に迫られることもないのである。 とらえようもなく、知りようもないのに、そうであるにもかかわらず、それが自分にも感じられてくるし、気づいてもくるのである。しかしまた、それを筋道を立てて説明するといったことが、自分でも上手く出来ないのである。 つまり、要するに、ただそう感じられてもくるし、気づかされもするのである。憂欝とか、いたたまれないとか、イラつくとか、あるいは居心地が良いとか、何となく落ち着くとか、安らぐなどといった、感じや雰囲気の領域から出ることがないのである。 |
index< 日誌 < aj情緒 < 22-30「交感I:感覚の感覚」p7