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そうやって、学校ではイジメの対象にならずに済むし、会社ではリストラの対象からハズレることになるのである。なぜなら、そうしてこそ自分は、この集団の中での多数派の中に入れるのだし、その仲間であるし、フツーのどうでもよい人間のように振る舞うことを許されるからである。 そしてこれが、学校や企業、そしてその社会が求める画一化し均質化した、どこにでもいる、どうでもよい、フツーの人間なのである。そして、このようにしてトップは集団を率いて、定められた方向へと導いて行くことが可能になるのである。まるで戦時中の護送船団のようにである。 プライバシ―も人権も曖昧で、自己意識がきわめて薄弱な世界にあっては、誰もがそうやって自分を見い出す以外にないのである。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という標語は、要するに、異質な者、ヨソ者、未知の者は許さず、認めず、断固排除するという宣言であり、スローガンなのである。 |
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