index< 日誌 < z自意識 < 22-35「交感N:ケイサツ」p11


1、フツーの人々。


ケイサツこそが悪の張本人といったところで、どの時代、どこの文明であっても警察はいたではないか。それに、警察なしにどうやって世の中の秩序を維持できるのか。

これは仕方のないことであって、世の中というのが、最大多数派の普通の人々の求めに応じて運営される以上、それはそうでない者に対する排除や圧迫、あるいは人身的な蔑(さげす)みや差別として行われてきたというのは、いままでの人類史のまぎれもない事実ではないか。そうである以上、それはやはり仕方のないことではないか。

それにケイサツが法の番人であるというのは、「自分たち」という都合に基づいているのであって、それ自体が要するに、まことに自分勝手なのであって、もともとの始めから差別と偏見に基づいたものなのである。


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