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そしてこの「自分たち」というのは、自分たちで団結して凝り固まった、一般的でフツーの、そして最も望まれる丸くてどうにでもなるし、何もしないし、出来ない、このような自分たちにとって都合の良い人間のことなのである。 当たり障りのない、波風を立てない、ただひたすら言われたことをするだけの人間なのである。あるいは上からそそのかされて始めて騒ぎ始める、非常に便利な人間のことなのである。 しかし、こうした人間が果たしていったい何の役に立つのだろうか? こういうのは、世の中に必要な存在なのだろうか? さらに、この「法の番人」というのは大義名分に過ぎず、表面上のタテマエ、形式的な手続き上の作法に過ぎないのである。それは、だれに対しても明文化された法律である以上、形式的な規格にさえ合っていればよいのである。ただそれだけなのである。主観が入る余地がないのである。だからまた、それが客観性なのであって、そうやって主観を排除しているのである。 |
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