index< 日誌 < z自意識 < 22-39「交感Q:集団的」p5


2、恣意的。


そして本当の自分というのは、結局のところシツケでも教育でもなく、――シツケと教育が偽善であることは、だれもがよく知っていることである――、そうした自分の外から与えられたものではなくて、自分が経験してきたこと、そして今の自分の元になっているもの、自分が自分であり続ける根拠になっているもののことである。

それは、いままで自分が生きてきた幼児期や家庭や学校、それに地域での思い出やその記憶ことである。つまり、これが前提としてあって、これが土台になっていて、これが自分が信じるもののことなのであって、自分がどうしても守らなければならないことなのである。

だからまた、法律や上からの指示がどうあろうとも、それとは関係なく、その実際の運用方法、解釈や適用の方法に関しては自分の裁量と主観の望むところに従って行うのである。

そしてこのような思い込みと気まぐれ、思い付きだけが自分なのであり、そしてまた、自分たちという世界なのである。そして、そうした世界に自分の安らぎと自由を感じているのである。


戻る。                     続く。


index< 日誌 < z自意識 < 22-39「交感Q:集団的」p5