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5、集団的なりすまし。


確かに、絆(きずな)といったものが、何かしらの共有意識とその共通認識によって成り立っているのであるが、それ以前にその自意識の中に自己意識というのが欠けているのである。いまだ個人として自立出来ないでいるのである。自意識というのが常に他人に求められていて、自分の中で自律することがないのである。

だからまた、プライバシーや人権、人格という概念が極めてぼやけてぼんやりしたままなのである。自分のこととして理解されることがないのである。ただ頭の中で他人から「コピペ」された「なりすまし」でしかないのである。

だからまた、このような集団の、外部との接触が極端に限られているということが、このような考えや自意識の根底にあるのである。あるいはまた、これがその自意識の現実的な条件になっているのである。それは、このようにしか成れないという意味でそうなのである。


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