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要するに、だれからも嫌われるのであって、どこで何をしていても、自意識というのが自立することがないのである。自分と他人との間の境界線が曖昧なままで、人権の概念がぼやけたままで、プライバシーや人格というのが妙に歪んだイビツな姿で理解されているのである。 しかしまた、これが、このような人々にとっての正義なのであり、常識であり、自意識なのであって、その上に法律やケイサツというのが成り立っているのである。そしてまた、このような信念と使命の下に法律が執行されるのである。 たしかにそれは、外から見ると差別と偏見そのものなのである。それはちょうど、100年前の日本社会の常識を、現在の人間から見ると、そのように感じられてくるのと同じである。それが正真正銘の差別と迫害のように思えてくるのと同じことなのである。そのように感じられてもくるし、それ以外の何をも感じられないのである。 |
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