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3、誤解。


だからこそ「区別」が必要だったのであり、そこから色という色彩感覚が生み出されたのである。これは必然なのであって、だからまた、いま見える赤・青・緑という色の区別は、人為的な区別に過ぎず、それ以前のその理由や自律性こそが問題になっているのである。

見える現実世界の、表面的で形式的なカタチに惑わされてはならないのである。いま見ている現実は、どこまで行っても「マヤカシ」に過ぎず、それは誤解であり錯覚にすぎないのである。

しかしまた、錯覚であるがゆえに、それが人間の思考として成り立っているのである。成り立つことが出来たのである。思考とは、現実とは別の世界であって、現実から切り離された空想の世界なのである。

感覚は現実を反映したものであっても、それを意識する主体は、現実とは別の存在なのである。まただからこそ、それが意識されているのである。


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