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5、カタチ。


しかしまた、そうするしかないのである。他にそれを表現する方法がないのである。そうして自らを表現して行くしかないのである。だからまた、これが表情であったり、仕草やポーズであったりするのである。そしてこの場合、これを意識してそうしているという意味でそうなのである。自分でも分からない未知のものを、そうして表現しようとしているのである。

すなわち、これが儀礼や儀式の始まりなのであって、その原型を作り出しているのである。迷信や意味不明なオキテやタブーがそうであるし、偏見や差別もそうである。そうして集団の中で仕切りが設けられて、序列と秩序のカタチが定められて、平和を作り出しているのである。

それは実用というよりも、自分自身というものを確かめ、了解する手段としてそうしているのである。そしてまたそれは、自分たちが生きている現実の人間関係や社会システムを固定し安定させるためにも、どうしても必要なことなのである。


戻る。                     続く。


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