index< 日誌 < aj情緒< 22-51「続、身体」p3 |
自分とは何も関係のない祖先の記憶といったものが、何かのひょうしにふっと、自分の肉体表面に現れ出て来ることがある。表情や仕草、クセや習性などとして、自分でも気づかないまま、自分の中から現れ出て来ることがある。 なぜそうなるのか、自分でもわからないし、そしてそれが逆らえないチカラとなって、自分に迫ってくるのである。押し出されて、浮かび上がってくる。歪んで、軋(きし)んで、引き裂かれ、剥がされ、めくれて、えぐられたその先の奧に見える地肌のように。 見てはならないものを、見てしまうのである。そして、どうしてもそれが気なって仕方がないのである。気にしてはならないことを気にしてしまうのである。 それが自分でもワケのわからない、自分の中の正体不明の、得体の知れない、自分でもどうにもならない衝動や直感として感じられてくるのである。本能とでもいうのかも知れない。なぜそうなるのか自分でも分からないし、自分のことなのに自分で止められないのである。 |
index< 日誌 < aj情緒< 22-51「続、身体」p3