index< 日誌 < ax背景< 22-53「記憶の世界」p3 |
それは、言わば、私たちの祖先の記憶が現実に現れ出たカタチなのである。そしてこのような精神と肉体とは、本来別のものなのである。しかしまた精神は、この肉体を通してのみ、自らのすがたを姿を現し得るのである。 肉体とは、自分自身の精神の現れ出たカタチなのである。また、私たちは、生きているこの自分自身の肉体を通してのみ、自分というのを知ることが出来るのである。自分自身の精神のすがたを知ることができるのである。 自分というのが、このようにしかなれず、これ以外にないという意味でそうなのである。自分自身のこの肉体を離れて精神は存在し得ないのである。そしてまた、これが自己の同一性なのである。それしかなく、それしか出来ないという意味でそうなのである。 自分が自分であるということ、そしてまた、自分は自分であり続けるというのは、このことなのである。自らの精神の拠りどころ、精神の宿る場所が、自分自身の肉体なのである。言い換えると、自分の生き方、感じ方、自分の歴史や日々の暮らしがそうなのである。そうやって自分を確かめ、理解し、自分を知ろうとしているのである。 |
index< 日誌 < ax背景< 22-53「記憶の世界」p3