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要は、「理由」が必要なのである。そうした場合の表情や仕草はどうでも良いのである。もともと自分の中に何かしらの「理由」があって、それに連動して表情や仕草が求められ、探し出され、そしてそうした行為自体が、自分にとっての当然の理由であり、目に見える、そしてだれからも認められる本当の理由のように思えてくるのである。だかこの場合の理由のカタチはどうでもよいのである。 要は、その表情や仕草の意味の解釈が問題になっているのである。それは自分でも預かり知らぬ未知の世界なのであって、だからそれはどのようにも解釈できるし、説明もできるものなのである。 しかしホントのところは、自分の身体が、それを自分に答えているのだと思えてくるのである。身体は自分の意思とは別のものだから、それは、自分に対して正直なものであるはずだと、思えてくるのである |
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