index< 日誌 < ao強制力 < 22-74「偶然の錯覚」P10 |
そしてたしかにそれは、錯覚そのものなのだ。しかしまた、錯覚でないものなど、この現実世界にはないのである。そして、しかしまた、偶然であるからこそ、それが客観的であると言えるのである。主観が入る余地がないのである。 現実とは何もかもが錯覚なのだ。無限で際限なく果てしないものなのだ。私たち人間は、それを常に一面的にしかとらえることが出来ないのである。とらえ「尽くす」ことが出来ないというのが現実なのである。 そうした意味で私たち人間の世界は、なにもかもが錯覚の上に成り立っている。しかしまた、だからこそそれが人間的な活動なのであり、人間の世界であると言えるのである。人間は常に自分自身を変革して行く。感じ方と考え方というのが常に変化し続けているのである。だからまた、無限で果てしない存在であり続けるのである。 |
index< 日誌 < ao強制力 < 22-74「偶然の錯覚」P10