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このような時間の流れの中を私たちは生きている。そうした満たされない思いといったものを、その象徴としての女性に見ている。そのすがたカタチや動きといったものが暗示し導くところの、情緒的な世界でそれを見ている。 もちろん、そんなことは始めからないものなのかも知れない。しかし、それでも、それが分かっていてなおも、それを求めてやまないのである。それは本来自分の中に求めなければならないものを、自分とは正反対の異性のすがたに求めているのである。 情緒的なもの、それはやはり異性にしかないものなのである。しかしこれもまた、人間は現実にないものを見ているし、いまも見えないものを探し求めている。そしてまた見てもいる。象徴や印象、暗示やサインとして、あるいは幻覚や錯覚を通して、それを願い求め導かれているのである。 |
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