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だからまた、こうしたことが、そうした無意味に見える習慣や仕草、ポーズや表情として今も自分の中で残っている理由ではないだろうか。また、そうした理由といったものが無ければ、そうした動作や仕草といったものは当然、忘れられ、失われ、消えて行ったはずなのである。 それは、いまとなっては自分の中で忘れられた過去の記憶なのであって、その痕跡や、ただ影のように付きまとってくる意味不明の印象や象徴の世界なのである。 それは、存在し得ないものなのである。しかしまた、それが存在しているということ自体が、すでに何らかの意味を持たざるを得なくしているのである。本来、無意味であるはずのものが、意味あるものとして存在している、あるいは、存在しているということ自体が、ただそれだけで、何らかの意味を担わされてしまうのである。 |
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