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そうした意味で、このような身体表面に現れる変化といったものは、それだけで何かしらの情緒の変化の表現であり、その印(しるし)なのである。そしてそれは、それだけで何かを暗示し示唆していているのである。そして、それが何かしらの象徴やサインとして、そしてまた、自分をどこかへと誘い、方向づけるスイッチ(信号や合図)になっているのである。 要約すると、始め何かの無意味で無関係な随伴物、必ず付いてくるオマケのようなものが、その原因となった感覚や情緒とは無関係に、ただそれだけで象徴と化してゆくのである。そしてそれがいつの間にか、それだけで何らかの感情や情緒を惹き起こし、指し示す、スイッチ(合図)になっているのである。 たしかにその方が、だれにとっても感じやすいし分かりやすく、共有しやすいのである。それは群れというのが、個人から親子、親子から小集団へと広がって行くためには不可避の条件だったのである。 |
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