index< 日誌 < ax背景 < 23-09「必然E見え方」p4 |
従って、模様の点の間に共通の合理性などないのである。カタチが境界線を表わすとすれば、模様は表面上の何かしらのパターンやリズムを表している。だからその姿が、捉えどころのないマダラ模様になるのであって、何かしらのパターンや、カタチなきイメージにもなり得るのである。 だからまた、そのままで現れたり消えたりして移り替わってゆくのである。それが出来るし、そうならざるを得ないのである。そしてこれが「すがた」である。 カタチは変わらないけれども、それでもその姿(すがた)は変わる。見え方、感じ方、また、見ようとする目的や動機、立場や事情によっても様々に変化する。これは色や陰影、模様、あるいはまた、心理的および物理的条件によっても様々に変化してゆく。 同一の物体を異なる次元から見ているのである。同じものを別の世界から見ている。外の世界から自分を見ている。だから「すがた」は、そういう意味で主観的なのである。しかし「カタチ」に主観は入らない。カタチは客観的で物理的な存在なのである。 |
index< 日誌 < ax背景 < 23-09「必然E見え方」p4