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6、客観的な世界。


しかしまた、自身が変化し得たというのは、何か自分の中で足らずのものがあって、それを自分で作らざるを得なかった、自身で変化せざるを得なかったということを意味している。遺伝だけでなく、遺伝を利用して、そこからさらに適応して行ったということである。

習性や行動のパターンがそうなのである。そしてそれがまた、自身の身体のある部分だけを最適化・特殊化していったのである。それは自身で獲得せざるを得なかったし、また、それが出来る現実の物的条件と可能性があったということである。

それは、始めは習性やライフパターンの変化として、そしてそれが自身の肉体内部の生理や神経のリズムの変化をもたらし、身体各部の機能や役割の変化として、そしてそれがやがて身体そのものの肉体的な特徴の変化となって現れる。

もちろん、そうしたことは数千数万年という、同じことの永い歴史的な繰り返しがそれをもたらしたのである。つまり、そうした方向へと制限され、そしてそれへと向かわされたということである。そしてまた、もしもそれがなかったならば、変化も起こらず、種としても消滅していただろうということである。

こうしたことは、自分の主観や意図や願いなどとは係わりのないことであって、上に述べたような客観的な現実といったものが、それを決定したのである。

戻る。                   続く。


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