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このようにして、自分の中の正体不明の情緒といったものが、目に見える現実のすがたカタチとなって現れてきているのである。そしてそれはまた、自分自身の中の情緒の異変に対する、自分自身の意志の表明なのである。 また、そうして始めて、この情緒といったものが自分の情緒として感じられてもくるし、理解もされているのである。情緒自体がそれだけで、そのすがたカタチをあらわに現わしているのである。 そしてまた、このような自分に対して、自分でもそれを省みたり、意識することが出来るようになっているのである。このようにして自分の精神というのが、現実の目に見えるカタチで表現されているのである。 それは自分自身の精神のすがたなのである。自分で自分を見ていて、そして自分を感じ、自分に納得し、自分が自分であることを証明しているのである。 |
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