index< 日誌 < av表情 < 23-29「笑いの表情A」p9


7、自由な笑い。


言葉や意識などではなくて、このような自分自身の身体の生理が楽しいのである。あふれて浮かび上がってくる、自分自身の肉体の自由な流出が楽しいのである。そしてそれが自分でもわかるのである。自分の身体の中の、本来見えるはずのない、自分自身の肉体内部の動きといったものが自分にもわかるのである。

しかしまた、だからこそ、笑うときの人間の目は虚(うつ)ろであって、現実の何をも見ておらず、視線も焦点も曖昧なままで、それでも、なぜかどこか生き生きした感じを受けるのである。なぜなら、それは自分自身に対する是認であって、自分で自分の心の中を見ていて、そして肯定しているからである。

そしてこれが本来の「笑い」なのである。しかしこれが作為と思い込みによって他人に向けられると、せせら笑いや、軽蔑や、気味の悪い薄ら笑いとなるのである。目もどこか薄く開けて相手を伺い、スキを見つけようとしている。顔は笑っているのに、目だけはこちらを覗(のぞ)き込もうとするのである。「笑い」のジェスチャーでもって、相手を騙して陥れようとするのである。

戻る。                続く。

index< 日誌 < av表情 < 23-29「笑いの表情A」p9