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5、自分のすがた。


それはただ、目の前の自分の利益に適ってさえいれば、それでよいのである。何よりも大切なことは、精神は自分の見える現実のすがたを求めているのであって、それに適ってさえいれば、中身はどうでも良いのである。

しかしまた、この本人にしてみれば、そうやってしか自分をたしかめる方法がないのである。そうやって自分を見い出すしかないのである。現実に自分の存在がない以上、それは自分の外で見い出す以外にないのである。

自分の現実が、現実の世界にないとすれば、それを探し求めなければならず、それでもなければ、なんでもよい、すでにあるものの中からそれを見つけなければならないのである。つまりそれは、錯覚であり、倒錯であり、幻想の世界なのである。

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