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2、表現手段。


このようにして自分に思い聞かせ、そうして納得し、了解し、自分で自分に認めさせているのである。結局、そうしてしまうのである。自分がそれで納得すためにも、他人にそれを知ってもらうためにも、その表現手段としてこのような仕草や表情が用いられてきたのである。

そしてそれは、現実を生きる人間が、自分が自分であろうとする限り、そうせざるを得ないのである。それは自分自身の中の表現手段なのである。他人に対すると同様に、それ以前に何よりも自分の内面から出てくる、意識されざる偽りのない自分自身の中の肉体の営みなのである。

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