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そうしたことは、たいてい有力な学者の学説と、重要な歴史上の出来事の権威に基づいて、その善し悪しに正当性が与えられるのであるが、しかし、このような思考のパターンそのものが、型式化された思考上の産物なのである。 そしてまたそれ以上に、このような思考自体が、自分たちにとっての何らかの理由や目的の、必要に基づいて動いているのであって、それ自体がまた、偏見であり偏向であると言わざるを得ないのである。 しかしまた、これが偏見であるからこそ、それが既存の常識に替わることが出来るし、それが新たな常識になり得るのである。そもそも常識自体が偏見なのである。それ自体が錯覚であり、誤解なのである。 |
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