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3、当初の意味が忘れられる。


しかしまた、そうしたことが、生きるために相手を咬んで食べる必要のなくなった人間にも残され、引き継がれていて、咬んで殺して食べるという実用的な必要がなくなった後にも、その意思表示の手段として残っているのである。言わば、自分でも意味不明のワケの分からない仕草として残っているのである。

当初の目的とは別の、そして当初の目的から外れて、そしてそこから派生した別の目的の、意志表示の手段としての意味だけが実用的な目的として残り、またそうした意味だけが重視され、保存され、残り、発達してきたのである。

そうだとすると、本来の咬むという場合の、もっとも大事な歯の露出といったことが、どうでもよいこと、もしくは「なおざり」の体裁だけになって、クチビルの突き出しだけが、より意味のあるものとなっていったのである。それは相手を物理的に攻撃するというよりも、意志表示のためだけの手段となっているのである。 

戻る。                続く。

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