index< 日誌 <av表情 e神々 at自己意識<23-75集中する筋肉の方向7「収束と放散」p10 |
もしかすると、そこにはもともと何もなく、何も見えていないのかも知れない。でもしかし、そう思えてくるのである。やはりそれは、実体を欠いた象徴に過ぎないのかも知れないのである。 しかしながら、そう思えてくるというのは、それが観念的で主観的な思い込みの映像であって、実は、そうした何かを自分の中で見ているということなのである。 何かの必要の迫られて、そう思わざるを得なくなっている、もしくは、もともとの始めからそう思い込むように本能的に出来ていた、自分の中の人体の仕組みといったものが、始めからそのように設定されていたのかも知れないのである。 |
index< 日誌 <av表情 e神々 at自己意識<23-75集中する筋肉の方向7「収束と放散」p10