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3、設定。


もしかすると、そこにはもともと何もなく、何も見えていないのかも知れない。でもしかし、そう思えてくるのである。やはりそれは、実体を欠いた象徴に過ぎないのかも知れないのである。

しかしながら、そう思えてくるというのは、それが観念的で主観的な思い込みの映像であって、実は、そうした何かを自分の中で見ているということなのである。

何かの必要の迫られて、そう思わざるを得なくなっている、もしくは、もともとの始めからそう思い込むように本能的に出来ていた、自分の中の人体の仕組みといったものが、始めからそのように設定されていたのかも知れないのである。


戻る。                続く。

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