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だからまた、これを否定するのは、自分自身の存在を否定するのと同じことなのである。それは自分の自意識と存在理由を恥ずかしめ蔑(ないがし)ろにするものと、同じことなのである。 だから、そこから離れることがどうしても出来ないでいるのである。つまり、どこにも個人としての「自分」というのが、始めから存在しないのである。これが儒教なのである。しかしまた、だからこそ、昔、欧米を相手に戦争を始めたのである。 欧米の価値観と生活スタイルが、自分たちの祖先のタマシイを辱めるものとして映ったのである。「自分たち」には、どうしても個人という概念が理解できなかったのである。「自分たち」の世界を守ろうとしたのである。 |
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2019-0104-011