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これは他人から見ると錯覚であり、偏見なのであるが、自分にしてみればそれは主観なのであり、そしてまた、それ以上に真実なのである。なぜなら、自分にしてみれば、それ以外の受け止め方を知らず、そして出来ず、そうやって知る以外になく、また、そのようにしてしか、受け入れることが出来ないからである。 自分にしてみれば、それ以外の手段や方法というのを持ち合わせていないのである。それ以外の受け止め方が出来ないのである。それ以外の感覚が自分には無いということなのである。 しかしまた、こうしたことが自分と他人を区別する理由となっていて、また、自分が自分である根拠ともなっているのである。従ってまた、これこそがお互いを理解するカギとなっているのである。つまり、お互いを認め、尊重した上での交流とならざるを得ないのである。これは当然のことであって、これが人権なのであって、プライバシーなのである。 |