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「感じる」というのは、感覚的で身体的なものである。自分の身体全体で何かを感じているのである。ではいったい、何を感じているのか? そうした意味で、何かを「感じる」というのは、意識でも観念でもなくて、もっと原始的な感覚の刺激や、その神経の作用や、生理の作用として考えることが出来る。 このような肉体内部の作用が、自分に意識されるということである。外の刺激ではなくて、それの反映としての肉体の作用が自分の中で意識されているのである。 そしてそれは偶然と、繰り返しによる馴れ、錯綜し、混乱し、入り乱れ、バラバラな中にも全体として見れば、様々な形式のアンサンブルとして理解できるものなのである。刺激の作用そのものではなくて、それらの作用の組合せのパターンとして意識されているのである。 |