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しかし、ここで重大な疑惑が生じる。このような「理解」や、その意識といったものが、果たして正しいのかどうかという問題である。やはり、そのような意識自体が仮想であり、錯覚であり、現実とは別の観念の世界でデッチ上げられた、幻想ではないかということである。 たしかにその通りなのである。これは仮想であり、錯覚なのである。なぜか? それが、観念と意識の世界での出来事だからである。意識である以上、それは現実の限られた一部分しか見えず、見てもおらず、見る必要もなく、見てもならず、見えてもならないからである。だからこそ、それが様々なパターンの形式として意識されているのである。 |