index< 日誌 < g自己分裂< 23b-94「時代の信仰」p11 |
人間は、自分で考えるといった面倒なことはしたがらないし、またそれ以前に、それは自分で考えてわかることでもないのである。 だから、すでにある自分の考え方や観念でもって理解しようとする。そしてそれ自体が、すでに他人から与えられるか、教えられたものなのである。だから、それが自分でも分かりやすく納得がしやすいのである。シツケと教育、それに自分たちの日常への過剰な信仰がそれなのである。 そうして、自分の中ですでにカテゴリー化されている、既存の観念の世界に当て嵌(は)めてゆくだけなのである。また、そうせざるを得ず、そうして始めて、自分の外の出来事が理解されてくるのである。 人間にしてみれば、これ以外にものごとを理解する方法も、手段も、材料もないのである。だから、そうやって乗り移り、取り憑き、ナリスマシて理解するのである。そしてこれでもって、理解したものと信じているのである。 |