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7、偏見。


しかしまた、だからこそ、その理解といったものが一面的で偏った主観にならざるを得ない。お互いが、外の世界から断絶して、自分との関係だけで相手を知ることになるのだから、それが主観と偏見になるのは仕方のないことなのである。 

(しかし、もちろんそれが、外の世界との接点を欠いているという意味では、それはそれで、むしろ主観というよりも普遍的とも言える。)

このようにして自分の観念の世界の中で、何もかもが自分の主観という偏見に基づいて意識されている。そして、これが錯覚だというのは、このような関係そのもが、自分自身の観念の世界で作り出されているからである。そして、「このような関係」というのは、自分自身の肉体内部の生理に対する意識なのである。

戻る。             続く。

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2019-0313-0317