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2、意識。


必要とは、自分が求めるものとも関連していて、それ自体がすでに内発的で主観的な思い込みの世界なのである。しかしまた、そうした主観が現実を作りだしているという意味では、これもまた、必要が現実を作り出しているとも言える。

しかし、それ自体は飽くまでも、どこまで行っても主観的で思い込みの偏見に過ぎないのである。それは偶然と錯覚の、自分の中の印象と象徴の世界に過ぎないのである。つまり、主観的で内発的な「必要」といったものが、現実の偶然と、その一方的な解釈、すなわち主観的な錯覚によって始めて現実化されているのである。

人間は何かを思い、何かを目的とし、そしてそれを理由づけしなければならず、そうして現実を生きている。そしてそれ自体が錯覚でしかないのである。しかし錯覚であっても、それはどうしても必要なことなのである。そうして現実が認識され、意識もされ、そうして現実を生きて行く。そして、生きて行くことが出来るのである。意識とは、錯覚のことなのである。

戻る。             続く。

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2019-0317-0327