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従ってまた、不快で苦痛であれば、涙が出て来なければならず、涙を出そうとするのである。これが自分であり、自分の「しるし」であり、自分が自分を確かめる場面になっているのである。 だからそれは自分にしてみれば、非常に大事なことで、自分自身の自意識と自己認識に抵触する世界なのである。またそれは、ある意味で偶然でもあるし、錯覚しているとも言える世界なのである。それは、ただたんに自分自身の「思い込み」の世界に過ぎないからである。 そしてこの偶然の錯覚の堆積と集積の中から、それら同士が、何らかの偶然の連鎖によって拡がり繋がって凝集して行ったのである。それらの印象やサインを基にして共通性や相違点などが見いだされ、一般化され、抽象化され、パターン化されたのである。 果てしなく長い数万数億年という時間が、自らを外の世界とは異なる自律性の下に最適化してきたのである。そしてそうした存在だけが、非常に長い歴史的期間を継続して存在し続けることができたのである。人間が現実世界で何かを見て触れて感じることが出来るのは、このような存在に対してだけなのである。 |
戻る。 続く。
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2019-0317-0327