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4、偏見。


そうである以上、それを知るというのは偏見でしかないのである。いかしまた、これが偏見だからこそ、また、偏見を通してのみ、そしてまたこれが、このような自己の内部の偏見だからこそ、相手を理解し知ることができるのである。

もしもこのような錯覚と偏見、そして仮想というのがなければ、私たちは他者というのを知ることがないのである。知りようがないのである。私たちが何かを知るというのは、こういうことなのである。それは自己と他者の区別であって、そしてこの区別を前提にして自己と他者が係わり合っているのである。

それだけが、つまり、自分自身の中にある偏見と錯覚、言い換えると、自己の内部の自律性と必然性だけが、他者を知り理解するカギとなっているのである。自分の考え、自分の主見のない人間に他人を理解することなど、初めから不可能なのである。

戻る。             続く。

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2019-0327-0329