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それはまさしく、自分の中の個性といったものであって、偏向と偏見、そして自分の中の必然性といったものなのである。自分が自分の中から、自分以外の者に支配され動かされている。 それは種とか、民族とか、国民などといった祖先のタマシイの世界なのである。そしてこれが自分の肉体の生理の作用を通して知られてくるのである。そうした自分に気づかされるのである。個人としてでなく、社会的存在としての自己が意識されているのである。 そしてそれが分かるし、自分にも意識される。そしてこれが自分なのである。自分の中で自己を発見したのである。眠ったままの失われ忘れられていた自己を発掘したのである。そしてこれが、かけがえのない自分にしかない、自分だけのオリジナルなのである。 そして、そうしたことが自分でもわかるのである。そして、それがわかるというのが自意識なのである。自分で自分を見ている。自分が自分を意識する瞬間なのである。そしてそれもまた、やはり、錯覚と仮想でしかないのである。しかしまた、だからこそ、それが意識であると言えるのである。 |
戻る。 続く。
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2019-0327-0329