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ではなぜ、世間一般の感じ方や考え方、あるいは感覚や思考といったものが、表面だけの薄っぺらな、外面的で体裁だけの、中身がカラッポの形式だけに終始するのか。 理由は簡単である。それがだれにとっても分かりやすく、世間受けも良く、また、その意味で収入にも繋がりやすいからである。また、そのようにして世の中が成り立っている、ということである。 すなわち、合理的で簡単明瞭、簡潔、効率的だということである。言い換えると、要領を得たパターン化された形式だということである。外見と体裁だけである。つまり、なるだけ中身をカラッポにするということである。 学校教育、新聞テレビ、マスコミ、それに政府の社会政策もそうである。日本という現実の世界の仕組みがそうだからである。確かにそれは、だれにも分かりやすく簡単明瞭で、だからまた従って、形式的で要領の得たものとなっているのである。 そして何よりも、国民のだれもがそれを求めているのである。だからまた、マスコミも政府もそれに答えなければならないのである。 |