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2、主観の錯覚。


そしてこれを自分の感覚器官でもって感じ取っている。そしてこの感じ方は自分の主観でしかないものであって、その意味で、それは錯覚としか言いようがないのである。現実を自分の頭の中で再現している、ということ自体が錯覚でしかないのである。

しかし、それではなぜ、これが現実なのかというと、これが現実に対する人間の感じ方だからである。これ以外の感じ方を人間は持たないのである。人間の感覚自体が、外の世界を自分の頭の中で何かしらの信号に置き替えたものに過ぎないからである。

このような自己の主観が作り出した錯覚の世界を生きている。しかしこれが錯覚だと言っても、これが自分が見て聞いて触れて感じる、自分と世界との関係のすべてだということである。そしてこれを私たちは「現実」と言っているのである。

戻る。             続く。

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2019-0402-0404