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4、時代という現実。


そうして残ったのが、現在の私たちが生きている現実の世界だからである。そうした永きに渡る歴史の結果が、その限りで、それが錯覚でないことを証明しているのである。また、そう信じてこそ、現在の私たちの暮らしが成り立っているのである。そうした時代という現実を私たちは生きているのである。

そうした個人的な主観に過ぎなかった錯覚と偏見が、長い歴史的過程の中で社会的合意としての常識になっているのである。シツケ、シキタリ、信仰、習慣といったものがそれである。また、その上に信仰や政治といったっものが成り立っているのである。しかしまた、だからこそ、この常識といったものも不変のものではないということを示しているのである。

戻る。             続く。

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2019-0402-0404