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2、誤解。


たとえば、それぞれが全く関係のない、別々の原因の刺激といったものが、その刺激の形式だけで、まるで同一の原因から来ている刺激のように思えてしまう。また、それを確かめることが出来ず、確かめる必要もないのである。

あるいは、小説を読んでいたり、映画を見ていたりして、実際には何の刺激もないのに怒ったり、悲しんだり、嬉しくなってきたりするのもそうである。

この場合、現実にはそうしたことは何もなく、そうした刺激もないにも関わらず、そうした現実とは全く無関係に、文字や映像だけで直接意識の世界に入って来て、そしてそれが感情を動かし、涙を流したり、笑いを誘ったりしているのである。そうした意味で、これもまたやはり、錯覚と誤解なのである。

戻る。             続く。

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2019-0404-0416