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3、傾向。


この錯覚については、他にもたくさんある。自分の身体が無意識に行っている習慣や仕草、表情もまたそうなのである。そしてさらに、自分自身の生活様式や、あるいはまた、いにしえの様々な文明の様式についても、そのまま言えることなのである。

人間には、自分がしていること、生きていること、そしてこれからやろうとしていることに対して、何らかの意味づけと理由といったものが、どうしても必要なのである。それは「好み」でもあるし、個性的で固有の傾向なのである。

そしてこれは、自分が自分であることの理由であり、証明であり、根拠となるべきものなのである。そうした理由や意味といったものが、人間にはどうしても必要なのである。それは、自分自身の存在の必然性であり、自律性なのである。

戻る。             続く。

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2019-0404-0416