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5、選択の余地がない。


隣り近所や友人知人、親兄弟、先輩後輩、上司部下、先生・・・。それに学校や職場といったものがそうなのである。それは仲間であり、自分たちというキズナ(絆)のことなのである。そうした、人間関係のことを言っているのである。そしてこれこそが、自分と自分たちにとって何よりも大切なものなのである。

記憶とは、このことを言っているのである。つまり、言い換えると、これこそが「自分たち」にとっての存在の理由になっているのである。それは自分たちにとっての人間関係のことであり、自分たちの「キズナ」のことなのである。

そしてこれが破壊されようとしているのである。技術と産業、そして交易の発展が、新たな人間関係のキズナを要求し、それまでのキズナを破壊してゆくのである。自分たちが信じていたものを辱めてゆくのである。そして、それがどうしても許せないなのである。

戻る。             続く

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2019-0406-0408