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3、信じる。


それは、誰もがやっている事であるし、それに自分も楽しいし、気持ちも良い。そして、それが周りからも支持されるのである。だから、これは悪意が無いのかも知れないし、ただ周りに合わせているだけなのである。

しかしそれは、やられる側にして見ると深刻な場合が多く、なおかつ、それが逆らえないとなると致命的なのである。人間にとっての心の拠りどころを破壊されてしまう。人間が、だれも信用できなくなる。逆らえないと分かっているからこそ、そうするのだという悪意にしか見えないのである。

だからこれは、やっている側に悪意があろうとなかろうと関係なく、悪意があったと見なされて当然で、仕方のないことなのである。ただ、やる側に「自分たち」が付いているので、仕返しされることが無いと信じているのである。「自分たち」である限り、自分は安全なのである。

また、だからこそ、こうしたことが平然と行えるのである。そして、これがいつの間にか常識になっていて、そしてこれが「システム」なのである。そうして誰もが仲間であり、そして共犯なのである。

戻る。             続く。

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2019-0406-0408