index< 日誌 < aj情緒 <  23c-61情緒6 「失われた記憶」p5

4、象徴。


しかし、いまとなっては、いったいそれがなぜそうなるのか、どいういう訳で続いているのかというのが、自分でも分からず、どうしても思いだせないのである。そうした無意識の本能的動作、いまとなっては現実の目的が失われた、言わば象徴的な意味しか持たなくなっているのである。

しかし、象徴というのは、社会集団や自分自身の自意識の内部においては、何らかの意識や行動を暗示するサインなのである。そしてこの象徴がそれだけで、より重要な意味を持つようになっているのである。

当初持っていた具体的で現実的な目的よりも、もっと重要な意味を持つに至ったのである。抽象と何らかの行動へといざなうスイッチとして、そうなのである。

それは、何らかの象徴としての、本能的な直感や衝動としてそうなのである。今は失われた祖先の記憶の再現としてそうなのである。それは、種としての祖先の記憶の世界を見ているのである。自分自身の肉体の根源を見ているのである。  

戻る。             続く。

index< 日誌 < aj情緒 <  23c-61情緒6 「失われた記憶」p5

2019-0406-0408