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すなわち、表情や仕草といったものが定形化されるのである。習性と化した無意識の動作といったものが、その当初の現実的な目的や理由から切り離され、それを喪失し、そして同時に情緒の表現手段としての象徴的な意味だけを取得するのである。 だからまた、この習性と化した動作や仕草といったものを客観的に見ると、なぜそんな動きをするのかサッパリ分からないといったことが起こるのである。意思表示のための儀礼的なサインや仕草といったものが、そうなのである。 これはなぜ、そんな動作をするのかというのではなくて、むしろ反対に、このような動作でもって情緒といったものを表現している、というのが実情なのである。 |