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5、たましい。


そして、このような方向性、自分自身が持つ傾向や指向性を、私たちは自意識と言っているのである。自分でもどうにもならず、それが自分を支配し強制する本能的な指向性とでも言ったものなのである。

しかし、実際のところ、このような自己の内的可能性というのは限りがある。なぜか?  歴史上、消えて行った文化や民族、あるいは種といったものがたくさんあるからである。

もともと自分の中に可能性が無かったのか、それとも可能性を活かすことが出来なかったのかも知れない。いずれにしても、そうして歴史から消えて行ったことが、それを証明しているのである。しかしまた、だからこそ、それが「可能性」なのである。

そして、これは個人についても、そのまま言えることなのである。自己のタマシイとアイデンティティーを、自分から進んで捨ててしまうということが、実に普通によくあることなのである。

だれも自分の目の前にあることしか考えたがらないし、わずらわしく面倒なことは避けたがるのである。人間には寿命があって、その間だけでも自分が幸せなら、それでよいのである。たいてい、それだけなのである。けっきょくのところ自分だけなのである。後のことは知らないし、どうでも良いことなのである。

戻る。             続く。

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2019-0408-0411