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この場合、それは差別などではなく「常識」なのである。それはシキタリ作法であり、自分たちの習慣でありマナーなのである。 人間は自分でもどうにもならないことについて悩んだりしないのである。それに悩んだり、「差別」というのが意識されたりするのは、差別から抜け出せる現実の可能性があって始めてそれに悩み始めるし、またそれが、理不尽な差別であると意識されてくるのである。 従ってまた、これが自分たちの常識や社会のルールとして、いわゆる公序良俗として守るべき常識とされている、そうした世界なのである。また、そうである限り、それが差別として意識されることがないのである。 |
戻る。 続く。
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