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5、良心。


中世において主君のためと言われていたことが、20世紀に入るとこれが、お国のために死ぬことを「武士の本懐」とか、「家紋の誉れ」とか、「死地を得たり」などと言って喜んで死んでいったのである。

そしてこれが、自分たちの社会的地位と自尊心の高さの象徴となって来たのである。しかしまた、ここには、それでは自分自身はいったいどうなのか、というのがどこにもないのである。それはただ、おぞましいだけの前近代的な野蛮な世界なのである。

ここには自分というのが、自分自身の良心に省みてどうなのかという発想が全くない。それ以前に、自分という本人が存在しないのである。自分の意志と自分の考えというのが存在しない世界なのである。

戻る。             続く。

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