index< 日誌 < s設定 < 24a-04「意志の誤解1」p9 |
従ってまた、だからこそ何かを信じようとし、信じなければならず、信じずにはいられず、そしてそうした信じる気持ちの情緒といったものが、自らの何らかの必要といったものを生み出し、またそれを自分の意志として遂行し、そうして自分というのが営まれてきたのである。 このようにして自分を意識し自覚して生きてきたのである。また、このようにして生きて行くことができたのである。だからまた、意思や、その根底にある自意識自体が、すでにどこかそれ以前のところで規定されているのである。あらかじめ設定され条件づけられているのである。 |