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4、錯覚。


だからまた、それに適(かな)うことが、自分の保身と立身出世の処世術になっているのである。自分の意志も、思考も、そして自分の自意識自体も、このようにして与えられた存在に過ぎないのである。

偶然も錯覚も、それ自体は個人的な思い込みに過ぎないのであるが、そうした偶然と錯覚の無限の拡がりと、それが総合された全体が客観性なのである。このようにして現実というのを、自分の外から見ることが出来るようになるのである。

そして、そうした自分自身に対する意識が、現実というのを覚めた客観的な世界として見るようになるのである。そして、このような意味で、現実というのは自分にとって、どこまで行っても偶然の錯覚でしかない世界なのである。

戻る。             続く。

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2019-0505-0507