index< 日誌 y肉体 < 24a-36肉体の記憶 3 「別世界」p8

3、錯覚。


しかし、それにしても、このような異質な自分を、本人はどのようにして意識するのだろうか。答えは、ただ一つである。本人はそれを知りようがない、ということである。だからまたそれは、錯覚でもって意識するしかない、ということなのである。

また、錯覚しているからこそ、それが見えてくるのである。それは、錯覚なしに見えないものなのである。それが自分の中で象徴として抽象化されているからこそ、それが自分にも意識されているのである。

個性を失った象徴だからこそ、それが相手と自分との間で共有されているのである。そしてまた、この錯覚が歴史と現実の中で拡がって行って一般化されたのが、私たち人間の「常識」なのである。

戻る。                続く。

index< 日誌 < y肉体 < 24a-36肉体の記憶 3 「別世界」p8


2019-0513-0516